左利きの融心さん

御先祖様を探し始めた若僧です

家系図作成記その⑩(失踪した祖父)

その団体はしっかりと管理がなされていました。祖父の入信の日から亡くなった日までありました。

祖父は家を出たときはまだ入信しておらず、なくなる10年ほど前から入信していました。入信から4年にはなかなかの階級を頂いていたようでした。祖父はお金を持っていましたので、恐らくかなりの額を納めたのだと思います。

 

ただ、お墓に関しては自分で立てていました。生前永代供養の申し込みをしていました。

もうM子や息子の所には帰れず、何があったのかは分かりませんが、同居していた女性とも最後は形だけの関係だったようです。

祖父は馬主もしていてかなり有名でしたが、その権限がその女性に移っており、きっと生活費やその他の金銭面での援助をしていたのだと推測しました。

最後はもう、頼れる人が居なかったのです。

 

さらに驚くことがありました。

 

祖父の永代供養に、もう1人一緒に入っている方がいりっしゃいました。

それは、血の繋がらないT彦の母親でした。みんなが家政婦だと思っていたが、実はH家と籍を入れていてM子のお姑さんだった方です。

 

この方、ほんと至る所で驚かせてくれます。

 

M子と別れ、違う女性と同居し、違う宗教に入り、ついにH家に戻れなくなったT彦の唯一の味方だったのかもしれません。それか、小さい頃から家の事をしてもらい、可愛がって貰ったお礼かもしれません。

 

何にせよ、義理の母親はT彦にとって最愛の大切な人であった為、自分の信じる宗教で永代供養を申し込んだのだろうと思います。

波瀾万丈な人生を歩み多くの人を悲しませ、若くして病死してしまいましたが、最後の最後には母親こそが自分にとって最大の大切な人だと思ったようです。1人になってしまい身よりも無くどうしようもない為、1番自分の信仰する宗教で生前から永代供養を申し込んでいたとの事。宗教は違えど最後は信仰心が支えになっていました。それまでの祖父の像が覆され驚いた私は、墓所の管理者に、

 

「今後とも祖父を宜しくお願い致します。」

 

とだけ言うのが精一杯でした。篤信であった祖父は今もしっかり供養されているらしく、コロナが落ち着いたら弟と一緒にお墓参りに行こうと思いました。