左利きの融心さん

御先祖様を探し始めた若僧です

家系図作成記その13(ハイカラな曽祖母)

ご無沙汰しております。融心です。

しばらく忙しくて、離れていたのですが、毎日届く「スターがつきました」と言う様な内容のメールを見ていると、「読んでくれてる人がいる」「嬉しいな」と思い、これは書かなければと思い久しぶりに開きました。

 

お待たせしました。忙しくて更新がスムーズにいかない事も多いかもしれませんが、少しずつ書き綴って行きます。

 

 

曽祖母は、とてもハイカラな人でした。たくさんの化粧品にバッグに洋服、帽子、アクセサリー、煌びやかな物は全て持っている人でした。遺影の曽祖母も、快活な笑顔におしゃれな帽子を被った姿です。

 

曽祖母は、私が小学4年生に上がる年の春休みに亡くなりました。その時私は、人の死を初めて知りました。とても悲しくて寂しくて、でも泣いていいものか分からなくて、隣に立っていた父の顔色をそっと伺いました。すると父は大号泣しているではありませんか!私は大泣きしました。

 

曽祖母は、私の家のすぐ近くに住んでいて、祖母の弟一家と暮らしていました。私は毎日通いました。

少しお金を持っていた裕福な老人でしたので、毎日タクシーを呼びつけては、デパートへ繰り出していました。私はお子様ランチをご馳走になったり、お菓子を買ってもらったり、誕生日には巨大なクマのぬいぐるみのプレゼントを貰いました。私の両親は、「甘やかさないでください!」と怒っていましたが、「ビッグな子に育てるのよ!」と、大らかに高笑いしていました。そんな人でした。

 

曽祖母は、東京の麻布で生まれ育ちました。その後、訳あって大阪の八尾市へ養女に出されます。養女に出された家は発明家の家だったらしく、変わった家だった様です。

しかし、曽祖母が大人になった時、曽祖母の母が迎えにきます。曽祖母は、実母の再婚相手が気に入らず、何十回も家出を繰り返し全国を駆け回ります。そこで、岡山の片田舎で出会った男性と結婚します。しかし曽祖母の母とその再婚相手の男性はなかなか権力のある方で、すぐに見つかってしまいます。